イタリアなう
草むしりしながらマイ哲学
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語学、ことに英語が大の苦手だったことは、拙著、『「チャオ! がいえたらイタリア人』(祥伝社)、及び『語学嫌いの会話術』(光文社)などでつとにおわかりでしょう。
「苦手」などのレベルではありませんでしたからね。嫌いも嫌い、大っ嫌い! 英語アレルギーそのものでした。
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それなのに、なにゆえ英会話がメインの生活となってしまったのか? 夫とのみならず、我が犬とだってイタリア語ではなく英語なのです。今だに大苦手なことには変わりはないというのに……。
人生というのは、わからないものですね。ン10年前、初めての海外などへ行かなければ、私はもっと私らしく生きてこれたのではないか。そして、親だって、生涯、心細い想いをさせなくてすんだのに、と悔やまれもします。
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実は、20年後半の時、縁談話しが舞いこんだそうな。地元で1、2を競う大地主の息子がお相手。中学生の頃から、私を知っていた先輩でした。海外旅行から戻ると、この話し。即刻、「お見合い? しないわよ、もちろん!」と返した私です。
大敷地内に、別邸を建ててくれる、という話しだった、とのこと。それにも反発しか生じなかった私。若かったのですね〜え。
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もし、もしもその先輩と結婚してたら、どんな人生となっていたことでしょう。興味深い! 語学を使うことなしのラクチンさ。そして、なによりも経済的に恵まれたはずです。帰国のたびに、チマチマと宝クジを10枚とか求める必要もないに違いありません。
いえいえ、たぶん、ワガママ全開な嫁として、すぐ放り出された可能性のほうが強いですね。となると、慰謝料、ビミョー。もらえない、あるいは少額になったことでしょう。
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イタリアの小さな庭で草むしりしながら、そんなこんなと想いをはせている私。かたわらでマルが、「おかーさん、暇なんだね〜え」と言いたげにしています。
人生、いろいろ。なにがいいのか悪いのかなんてわかりません。幸せにしても、しかり。幸せや不幸せなんて、紙一重的なところがあるのかもしれませんね。
草むしりをしつつ、マイ哲学しまくる私でした。
(夫が生存中のこと)
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タカコ・半沢・メロジー