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イタリアなう  イタリアと日本の芝生に心揺れる

 イタリアなう
  イタリアと日本の芝生に心揺れる


 朝の10時。あ、日本へ電話しなくては! つい、そんなふうに思ってしまいます。日本時間の17時。もう、父はいないのに……。今まで毎日、この時刻に電話を入れていたため、すっかり身についてしまったようです。
 父が旅立ったのは2月12日。まだまだ、つい先ごろのような気がしてなりません。でも、父を失くし、2か月近くたとうとしています。それなのに、自然と電話のことを想うなんて。別れを受け入れられないでいる証しでしょうか。

 

 そんなことはない。父は父なりによく生きたし、私だってある程度の介護ができた。それでも、大いなる悔い、辛苦の念ばかり生じるのはなぜでしょう。どうしても、「もう少し生きていてほしかった」とばかり思ってしまうのです。
 さんざん介護し尽し、「もう、限界。そろそろ解放されたい」と感じる頃に永眠してくれたら、こちらの気持ちはずいぶんと救われたことでしょう。勝手な想い、とはわかっていても、そんなふうに考えてしまいがちです。

 

 庭に目をやると、1か月間の不在どきにのびまくった芝生が飛びこんできました。みごとに茫々。1か月も放っておくと、ここまでとんでもない荒れ地化するのですね。
 ということは、実家の庭も同じ。次に戻る4月末には、茫々の芝生となっていそうです。果たして、家庭用芝刈りで対応できるか?案じられます。

 

 家主のいなくなった庭、そして家屋。寂しいだけではなく、問題、いっぱいですね。芝生の手入れひとつ、思うようにいきません。でも、父と母が50年以上も住み親しんだ地を手放したくない。さりとて、イタリアでの日々の生活も貴重。この先、どうしたらいいものか。考えこまずにはいられません。

 

 ちなみに、現在の実家の庭は、父の希望で昨年、西洋芝の種をまいたものです。いつも青々としている芝生を好んだ父は、旅立つ少し前に、こうい言ったものでした。
「いいねえ、一年中、緑を目にできるのは。いくら眺めていても飽きない」
 実家の芝を美しく保つ。それが、今の私にできる唯一のこと。同時に、イタリアの庭も大切にしたい。などと感じ、心揺れる毎日です。

 

 タカコ・半沢・メロジー

 

 

author:タカコさん タカコ・半沢・メロジー 半沢隆子 半沢タカコ, category:イタリアなう 最近のイタリア事情, 21:09
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Comment
おかーさんの話を伺うと、心が揺れるのもよくわかります。難しいですね。
私の好きな室生犀星の詩に、以下があります。
彼が、これを歌った心情は、おかーさんとは違うのですが、心が揺れるふるさとがあると言うのは、それ自体が素晴らしい事だと思う次第です。

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
kojiro, 2017/04/23 12:37 AM
Kojiroさま。しみじみとした詩に、マルもジーンと来ました。         マル
マル, 2017/04/23 11:04 PM
おかーさんの実家を思うと心が揺れると言う気持ちは、私も好きな次の短歌にも、詠まれていると思います。

「やわらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」(石川啄木が故郷を思い出しての詩)

このように思えるふるさとがあるのは、素晴らしいです。

マルたちが居るからこそ、このように心が揺れる事ができるのだと存じます。
kojiro, 2017/04/24 12:43 AM
Kojiroさん、文学系でしたか。
ふるさと=親でもありますよね。親を失った悲しみ、淋しさは、本人でないとわからない、というのは本当でしょうね。        マル
マル, 2017/04/25 12:13 AM
言われる通りと存じます。
私事ですが、私は、何の孝行もできない内に、父が無くなり、未だに後悔しております。不肖の息子として、一生、後悔しているでしょう。一方、それが大事とも思います。

因みに、私は、文学系ではなく、雑学系です。
kojiro, 2017/04/26 12:08 AM









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